千葉の歴史検証シリーズ6

埋め立て 知られざる秘話 1
林立する巨大なビル、整備された高速道路、先端技術産業の集積。この千葉県が以前はピーナッツとはまぐり、いわしが主産業だった県だと誰が創造できるだろう。今日の千葉県があるのは、海を埋め立てた結果によるものというのは誰もが知っている。しかし三番瀬問題にみられるように、埋め立てによる負≠フ側面が、ようやく問題になってきている。埋め立てについては、今まで実にさまざまな角度から検証されているので、ここでは今まで知られていなかった秘話≠ご紹介する。
友納副知事・江戸社長の運命的な出会い
1957年(昭和32年)のある日のことだった。
 当時副知事だった友納武人は、京葉工業地帯造成計画達成の最後の頼みの綱、そんな気持ちで当時東京日本橋にあった三井不動産を訪れた。友納はその前に当時業界一位の三菱地所に打診したが、三菱地所は当時丸の内の再開発で手一杯で、とても千葉まで手が回らなかった。
「私(友納)は、社長室に入る前に、用を足そうとトイレに入った。
 ちょうどよれよれの洋服を着たおじさんが、腰に下げた手拭で手をふいていた。小使いさんだと思って『江戸社長にお会いしたいんだが、社長室はどこ・? 』と聞くと、さえない風体のそのおじさんが『イドは私ですが』と言った、これには仰天したね」。
 友納が親しい人間によく話したエピソードである。
 筆者はこの話を知人の新聞社の支局長から聞いた。このくだりは今まで一般には、友納の「疾風怒濤」という著書によって次のように紹介されている。
 「社長室に通されたが、何の飾りもない貧弱な部屋で、しかも出てきた江戸英雄という人物は小さな体で、よれよれの洋服、袖の下から汚れたワイシャツが覗いていて……」
 前の話のほうが面白いし、本当のような気もする。
ともあれ、友納は切り出した。「産業界の要請もあり、千葉県の発展のため、海面を埋め立てて工業地帯を造成したいが、金がないうえ千葉県は財政再建団体なので、起債もできない。そこで埋め立てを千葉県と三井さんの共同事業としてやってみたいが、金を出してもらえませんか」
 江戸はちょっと考えていたが、「私も狭い国土の日本を再興するには、海を埋め立てるのがいいと考えていました」
 「さしあたり30億円ぐらい出してもらえませんか」  「いいでしょう」。
 京葉工業地帯造成の第一段階、五井・市原628ヘクタール埋め立てが実現する第一歩となった、劇的な会見だった。この席で友納は、坪井東部長を紹介されている。江戸ー坪井ー友納ラインという、その後の千葉県の発展を担った初の顔合わせでもあった。
 ところが実は、江戸は埋め立て事業がいかにウマ味のある事業であるか、経験で熟知していたのである。
 千葉県の名物の一つ、巨大ショッピングセンター「ららぽーと」は三井不動産系だが、前身は船橋ヘルスセンターである。
 当初は朝日土地興行の経営だったが、この土地は同社の丹沢社長が県から公有水面の埋め立て土地を分譲されたものだった。
 丹沢が入手したのは約14万3000坪。朝日土地興行はその後経営不振となり、三井不動産に吸収合併されるが、江戸は同社の役員をしており、埋立地は十分採算がとれおつりがくるほどの事業であることを知っていたのである。
(つづく)
次号は堅い話になるが、後に「千葉方式」と言われるようになる埋め立て方式にふれることにする。【文中敬称略】

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